水見稜『マインド・イーター』について

唐突に思い出し、水見稜『マインド・イーター』について書いた自分の文章を別の場所からコチラに転載
2006年04月12日
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以前からこの水見稜『マインド・イーター』(ハヤカワ文庫)の解説にある

「文科系のハードSF」(大野万紀

というワードが気になっている。

文句があるのでは無く、なるほど、と思っているのだ。
非常に的確であると思う。

解説でも言及される、この『マインド・イーター』という連作短編郡における整合性の無さ、矛盾に関しても、「文科系」というマジックワードによって理解が容易になるように思っている。
変な言い方だが「整合性の無さの一貫性」を感じ、それもまた非常に文科系の学問的であるからだ。

この整合性の無さは連作短編第一話『野生の夢』で既に予告されている。すなわち
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およそ宇宙を構成するものの九〇パーセントは仮説であるが、それらは宇宙がいいかげん気の抜けた状態になってから、詮索好きな人間と言う一生物によってうちたてられたために、それ以前の誤解を解消するにはいたらなかった。

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水見稜『マインド・イーター』ハヤカワ文庫JA
P9からP10より抜粋)

を全く素直に読んでしまえばいいのだ。

量子論の文科系的解釈。
意図的なニューサイエンス風の曲解。

すべては短編の作中それぞれにおける登場人物=観察者の視点=主観によって発生した違いであり、その齟齬こそが連作短編で無ければ得られなかったテーマの発露であると言える。

私個人が特に気に入っているエピソード『おまえのしるし』を例にとる。

このタイトルから、ある年代、あるいはある種の音楽好きであればWeather Reportの名盤『Heavy Weather』を連想すると思う。

『Heavy Weather』収録の『A Remark You Made』(ジョー・ザビヌル Josef Zawinul 作曲)の邦題は『お前のしるし』なのだから。

ここで、このタイトルからWeather Report『Heavy Weather』を連想するかしないかで作品の見え方が変化する仕組みになっている。

これは作者の「遊び」を理解するしないではなく、一つの「仕掛け」なのである。

なぜならば主要人物である「言葉を発することのできぬニール」は陸上選手なのだ。

彼は走り幅跳びの選手だが、陸上競技におけるキーワードのひとつ・・・
「位置について」= "On your mark!"

これも「おまえのしるし」ではないのだろうか?

ここでダブルミーニングの単語によって読者の主観は様々なキーワードに対して異なる反応を強いられるのだ。

例えばWeather Report『Heavy Weather』を連想し、しかも楽器、音響機材に知識のある人間が意識の中で「音楽」を漂わせたまま文章を読み進むと、後半・・・「精神同調(チューニング)」を行うシーンから受ける印象が違うものになるのだ。

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これは、厳密に言うと科学とは別のものだ。科学の可能性を敷?していった結果、道もわからぬところに来てしまったことを、みんなうすうす気がついている。しかし、振り返るのが恐くて、誰も口にしようとはしないのだ。

「カットオフ周波数を設定。共振(レゾナンス)レベルをゆっくりと上げろ」

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水見稜『マインド・イーター』ハヤカワ文庫JA
P159 L10からL13より抜粋)

カットオフ周波数・・・レゾナンス・・・

ともにアナログ・シンセサイザーについて少しでも知識があればなじみのある単語・・・というよりそれ以外の連想が出来ないくらいシンセサイザーと密接な関係にある単語郡である。

それによってこのシーンにおける「精神同調」(チューニング!)という作業のイメージが変わってくる。
そして結果、自分のなじみのある世界と疑似科学的世界が意識の中で二重写しとなってしまうはずだ。

連作短編相互の齟齬は作中人物の「観察する主観の齟齬」を描く手法であり、同時に読者は意図的にちりばめられたマジックワードによって「印象の檻」に捕らえられ、主観の齟齬を引き起こすのだ。

そうした点から、この作品が「言語SF」であることを指摘したい。

そして言語SFの中でも、言語が形作る世界の多重性を読者に対しても「仕掛け」てくるこの作品は、言語そのものを具体的に「ハード」として用いた「文科系のハードSF」であるのだ。

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死体(コーパス)の上に死体(コーパス)が積もり、言葉(コーパス)の上に言葉(コーパス)が積もる。掘り起こされたときは、意味の違うものになっているかもしれないが、言葉以外にも伝えたいことはあるし、それは時を経てさらに強力になるだろう。

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水見稜『マインド・イーター』ハヤカワ文庫JA
P180 L16からL18より抜粋)