サンタ日本人説

えっと嘘です。

それはともかく、昨日録画した映画『ブルークリスマス』を見る。
監督、岡本喜八。脚本、倉本聰(字が思い出せなくて『北の国から』で検索かけたら、北朝鮮旅行記がHitした。なるほど。『北の国から』だ)出演、勝野洋竹下景子仲代達矢田中邦衛沖雅也
うーん、濃い!

最初に見たのは高校生の頃だ。
SFだと思ってみたら、全く違うテーマ&メッセージの映画で、とっても印象深い映画だった。

あらためて見ても、やっぱり好きだ。

これ、たとえば北朝鮮に関する情報の、日本マスコミにおける報道姿勢を考える上で、ものすごく分かりやすい寓話です。
今こそ観られるべき映画。

ところで気になったのが、この映画、放映したケーブルテレビの解説番組や、ホームページ上の紹介、あるいは、DVDのジャケにも書かれていると思うけど、なぜか『SF映画』として取り上げられているのですよ。

これ、変だよ。

うーん、どう説明して良いのか…
そりゃ、UFOや超能力、あるいは「人間の血液が青くなる」という設定だけみればSFと思うのも無理ないのかもしれないけど。

音楽に例えると、例えば、J-POPで4ビートっぽい音を最近よく聴くけど、これを「JAZZっぽい」とは言っても「JAZZ」そのものと言わないことと同じと言うか、あるいはジャズミュージシャンが8ビートで演奏しても、そりゃロックではない、というのと同じというか、アイドル歌謡がロックっぽいバンド編成、曲、アレンジであってもロックではないというのと同じと言うか…
(むろん、これらの例えは良い悪いではありません。どれも、手段と関係なく面白いモノは面白く、つまらないモノはつまらないでしょう)

要するに、必要条件と十分条件をごっちゃにしてしまうと、そうした錯誤が起こりやすいと言う訳で、音楽では比較的分かりやすいけど(例えばフリッパーズギターが4ビートやってた頃に、それだけでコーネリアス氏をジャズミュージシャンだと思った人はいないと思う)SFとミステリでは、これはいまだに誤解されている気がするのですよ。

タイムマシンが出てくればSFなのか?密室トリックがあればミステリなのか?

SF的道具立てのまったくないSF、刑事事件が起きないミステリはいくらでもありますし、その逆(舞台や道具立て、設定では条件を満たしていてもSFではなかったりミステリではなかったり)もしかり。
別に、どちらにしても悪い事では無いのですが。

なんでしょうね、これ。
やっぱりコミュニティーの『魂』。
それの有る無しなんでしょうね。
ジャズ魂、ロック魂、SF魂、ミステリ魂。

ジャンル性が強い、というよりコミュニティー性が強いモノには、かならずこうした『魂』があり、そうなると場合によっては排他的になります。

そこをさらに深くつっこんで行くと…例えば、どこかのジャンルから現れて、その後ジャンルの枠を超える活動が出来る人間というのは、本当は、そうしたコミュニティー相互の価値観の違いを理解している人、言い変えれば「ジャンルの存在を認めている人」のような気がします。
さらに言えば、ジャンルの存在を認め、他ジャンル=他のコミュニティーの価値観を理解しようと努めることの出来る人間です。
(その結果、理解出来なくとも、なんらかの形で他の価値観を受け入れることができれば良いのでしょう。違う価値観を根底から完全に理解するという事は、人間が相互に他人である以上、絶対に不可能ですものね)
最低限、「違う」と言う事が分かるだけでも。

そうでないと、自分の価値観の、単なる押し付けになっちゃいますからね。
でも考えてみたらこれ、普通の生活で「いかに他人の価値観を理解しようと努めるか?」という普通の話ですね。

なんてこと考えながら、本日は、近所のカフェで、のこのことお茶。のこのこは白桃烏龍茶。私はクリスマスケーキセットでコーヒー。
久原大河君を呼び出して、フライヤーイラストの打ち合わせ。

あとは仏蘭西の猫、シャルトリューと、お店にあったお酒「シャルトリュー」の話。
猫自慢。

のこのこが先に帰宅後、残った男性たちで怒濤の下ネタ大会…
ああ聖夜。