情報
「情報」って、なんでしょうね。ホント。
「情報」の効果たるやそれだけで十分なテロ活動なんだけど。
もうここまで煙幕張られるとなにがなんだかもう。
これは報いだな。
生の情報の垂れ流しと、情報操作&管理された情報の両極端を無分別に享受し、その状態に慣らされてしまった我々に対する報い。
本来大事なのは「情報の評価」すなわち情報の見方と内容の吟味であるはずなのだが。
「評価」がなければ「情報」は「情報」としてのの意味を失ってしまう。
20年以上前に柳田邦夫が唱えた「情報の見方」の啓蒙。
しかし、洪水のような情報攻撃に流されて、いまや情報をどう見るかという知性が日本から失われつつある気がする。気がするだけならいいけど。俺の気の回し過ぎならいいんだけど。
全ての人間に「アナリストたれ」という話では無い。「情報の評価」には膨大な知識と見識が必要でそれは餅は餅屋。本職がいる。
そうではなくて、基本的な「情報の見方」の話である。
まず観る。次に考える。先入観を出来うる限り無くす。人の話に耳をかたむける。知識を得るべく努力する。その上で、上記の条件をクリアした上で、自分の視点を定め自分の意見を持つ。
一見関係無さそうでも同じ時系列で進行している事態には常に注意をはらう。
他者の話は先入観なくしっかり聞き、同時に他人の意見に無駄に振り回されない。
洗脳されない。無駄に反発しない。
他人の意見を論破することにエネルギーを消耗させない。
組織や人間に対して先入観を持たない。みくびらない。過大評価しない。バカにしない。崇拝しない。
情報を集めることにやっきにならない。必要以上の情報があっても消化出来ないからだ。
逆に、自分の仮説や見方に都合の良い情報ばかり集めない。
…難しいヨね。俺自身全てクリア出来るかと言えば自信はない。
しかし、情報がテロ行為につながるという事を考えれば、逆に言えば情報の見方ひとつでカウンターパンチを出せるかも知れないということだ。
情報の評価こそが我々の武器になるかもしれない。
大袈裟では無いヨ。だって昔から情報の評価一つで人の生死が、国家の生死がきまっている事を考えたら。ねえ。
情報の見方。これ試験に出ます!(と黒板に丸)