襲撃のメロディ

山田正紀著。私が所有しているのは昔の早川文庫版)にあったセリフでこんなのがあったはずです。今するっと見回して部屋に本がなかったのでうろ覚えで書きますが…ゲリラにはゲリラの戦い方がある。一番危険なのは少数派として存在を認められてしまうことだ。…存在を認められてしまったが故に、インパクトをあたえることが出来なくなり、その結果情報的に孤立させられてしまう。
(上記の「ゲリラ」の例えは…例えば中東情勢においては、上記の条件が当っていること半分、特殊な事情が半分なので、具体的な現実のゲリラ組織の話では無く、抽象的な、我々自身の話を展開する枕だと考えていただきたいです。
蛇足ですが、中東のゲリラの場合、信仰と民族の問題が非常に大きく、さらに旧ソvs米の冷戦下における、旧ソ政権による武器供与戦闘技術訓練、なにより資金提供の存在が大きいので、テロの活性化=テロリストのジリ貧脱出願望の構造も意識の片隅に置いておかなければなりませんが…それはまた別の話です。
閑話休題
…何故「インパクトをあたえられなくなると情報的に孤立してしまう」のか。このあたりは『襲撃のメロディ』を読んでいただき、さらに谷甲州『星は、昂』や『終わりなき索敵』堀晃の「情報サイボーグ」シリーズといった「情報SF」モノを読んでいただけるとわかりやすく面白く、克、見えてくるモノがあったりしますが…
情報とは「往復」して、初めて情報として機能するのであるということなのです。
例えば…AからBにCという情報が伝わり、そして「CがBに伝わった」という情報がAに戻ってくるのでも良いし(それ自体も「C」と違う価値を持った独立した情報と見なされる)ギブアンドテイクでBからAに同等の情報量を持つ別情報Dが伝わるのでも良い。それを受けて最初の情報Cは価値を持ち、「変質」する為の条件を満たします。次の情報送信のためのチャージがおこなわれるのです。一つの情報がループしつづけるとフィードバックループからカオス(渾沌)が生じます。
(このあたり、音楽のスタイルの変遷と、用いられるメディアのシステムの違いというテーマにも繋がる話です。西洋音楽におけるクラシックのスタイル変遷のスパンとジャズのスタイル変遷のスパン、ロックのスタイル変遷のスパン、それぞれの質と変化の速度を比べれば、情報の往復にかかる速度というものが、いかに情報そのものの変質に関わるかと言うことが分かるはずです)
さらに言えば、その情報自体が情報としての価値を持つ為には、内容に「その情報によって初めて知る事」が多く含まれなければなりません。
とはいえゼロでなければ情報は情報です。ただし鮮度が低かったり変質に気が付かなかったりすると毒にもなります。まるで食べ物の話ですが…人間は食品のように「情報」をやり取りしないと生きて行けないのです。

人質3人が釈放されました。
それ自体は喜ばしいことです。
ただし、だからといって内外に対する目線を緩めては意味がありません。
(未確認情報として新たな人質事件勃発の可能性もあることですし)
…誰が何故何の為にどのように動いているのか。
内外の動きから目を離さないようにしたいものです。
でなければ、この2年程の流れの中で、様々に思考して浮上して来た意識、議論の立脚点、自分の置かれている立場、そうしたものがまた曖昧になり、情報としての価値を失い、結果、利用されてしまいます。誰かの都合良く。
誰に?
そのことを、一人一人が独立した「思考のゲリラ」として、それぞれの立場で知る為にも思考し続けなければならないはずです。…そうした行為を行える人間を世間では「リベラリスト」と呼びます。