本日の思い出す事

取り留めなく思い出したことがいろいろありまして。
雨の中歩いていて思い出したのが「見るからに隙の無い人物」の事です。
二人、思い出しました。
一人は近所で出会いました。
以前、夜中に雨の中のこのこと二人で商店街を歩いていたら、前から「見るからに隙の無い人物」がやってくるのです。
その身のこなし、姿勢、視線の配り方。
私のような素人でもわかる隙の無さ。
しかし、私が素人ながら武術に関心があるためにその「隙の無さ」が見えると言うくらいの話しで、決して威嚇する雰囲気はありません。
実にさり気なく、自然。
すごいなあ、ただ者では無いなあと思いながらすれ違って、しばらくしてからのこのこがクスクスと笑いながら
「あの人、院長さん」
と正体を教えてくれたのです。
近所の整体師さんでした。
道家で、市内の中学高校の柔道部に行って出張整体をしたり稽古をつけたりしているとのこと。
のこのこがその人が院長を務める整体&鍼灸院でマッサージを受けているのですが、なかなかの腕前らしいのです。

もう一人は、サックスレッスンの生徒の息子さん(長い)が吹奏楽コンクールで演奏をすると言うので観に行った時に出会いました。
演奏が終わって、その息子さんと話そうと、楽器をかたずけている生徒さんでごった返すロビーに足を運びました。
話しをして帰ろうとすると、指揮を振っていた先生がやって来ました。
目が合いました。
その目を見て「お…」と。
威嚇、と言う程ではないのですが
「なんだか分からない人間がいるな。関係者ならいいけど、もし生徒に何かするようならばただじゃ置かない」
という決意が見て取れる目です。
そしてやはり身のこなし、姿勢、ただ者では無いのです。
おまけに「準・臨戦体制」とも言えるその立ち方は隙がありません。
技を打ち込もうにも(打ち込みませんが)どうしても返されるとしか思えない程、隙が無いのです。
帰りにレッスン生と一緒の電車になり、話を聞くと、やはり柔道の有段者でした。

しかし、そうした人たちを見るにつけ「強い」ということの本来の意味をいろいろ考えたりしてしまいます。

強い、といってもいろんなタイプがいて、自分から闘いを求める求道的なタイプもいれば、絶対自分からは闘わない人物もいるでしょう。
(そういえば、意味は少し違いますが、大学の教科でとった「剣道」で、絶対自分からは打ち込まない「受け技」の達人が同級にいました)
自分から闘わない「強い」人物は、その強さ故闘わずにすむのです。本当に強ければ、様々な危険を、威嚇する必要も無く遠ざけられるのです。

そして私の経験上言えるのは、本来の意味で強い存在は「殲滅戦」は行わないということです。
殲滅戦を行おうとする存在は、権力はあっても決して強くは無いのだと思います。

もしも、挑む、退く、共闘する、傍観するといった選択を迫られた場合、挙動から相手の器を見切るのも重要だ、ということです。

以前日記に書いたように、過小評価、過大評価共に戒めねばなりませんが。

なんてことを、雨の中歩きながらボケーっと考えてました。
お、近所の質屋にあるオリンパスOM-2、まだ売れて無いな。