本日のニュースの見方を考えた

邦人襲撃事件の報道を見ていて興味深いのが、報道する側が何をどうやって何処に世論を持って行こうとするかという部分で。
正確には、世論を何処に持って行くかが微妙に定まっていない一瞬の時期の報道が興味深い。
本来ならその報道こそが、情報を伝えるという本来の意味での報道なんだけど、今現在その時期の報道が一番現実感が薄いというのが。
いや、あやふやな情報であれば現実感が薄いのは当たり前なんだけど、指針が(その日の内に)ある程度決まった時点で、情報量はそれほど変わらないのに報道に「自信」が満ちてきて、その時点から急に「現実感」が発生する。
情報量にさしたる差が無いのに、なぜ。
恐いヨ。
報道する側が、自信を持って「今、私達は世の中に向かって情報を報道している」と言える根拠が「事実の裏づけ」では無くて「イデオロギーの裏付け」になってきているようにしか見えないのだが。
もともと報道とは「ある事柄を、観察者のフィルターを通して流布する行為」であり、報道するしないもそのフィルターによって選別される主観的な行為なのだが、問題はどんなフィルターを誰が選んで装着しているかだヨな。
気をつけないと。