音楽の話・調性

…註。
以下、ジャズの話です。

最近、調性についてよく考えています。
私が音楽について考える時は、定期的になにかのテーマがローテーションで現れてしばらくそのことについて考え続けるという形態なのですが、たまたま現在のマイ・テーマが「調性」なのです。
きっかけは先日、板橋文夫3+2での控え室での会話でした。
ピアニスト、ポール・ブレイの話題が出ました。
ブレイのアルバムでベースがチャーリー・ヘイデンのモノがあって、そこで演奏されるブルースのトーナリティー(調性)の変化が面白いという話題でした。
とにかくコロコロとトーナリティーが変化して行く。
いわゆる「フリー」というのでもなく(ここまでいくともはやどっちでも良い感じですが)…この感じ説明するのが難しいので聴いた方が早いんですが。
ブレイとヘイデンが耳で聴きあって阿吽でトーナリティーを「ワープ」しているんだろうなあ。おもしろいヨなあ。
…という話を休憩のあいだにして後半に臨んだのですが「そんな気分」に全員がなっていたようで「そんな雰囲気」のシーンがポコポコ出て来て面白かったのですが。
で、それから今日まで考えているのです。
「混沌」でも「無調」ではなく、調性そのものをコロコロ変化させる感覚。
ポン、と思い付くジャズにおける「調性を考える上で重要な人物」はデューク・エリントンマイルス・デイビス、そしてオーネット・コールマン
でも今、しっかり聴き直さなくてはと思うのがアルバート・アイラー『スピリチュアル・ユニティー』なのです。
アイラーの他の作品では無く、これである必然はゲイリー・ピーコックの存在なのです。
調性を考える上で、単音のメロディー楽器…ここでは管楽器、そしてベースの関係性が重要なのですが、それはオーネットの、例えば『ジャズ来るべきもの』におけるヘイデン、『スピリチュアル・ユニティー』のピーコック(ドルフィーに対するリチャード・デイビスというのもありますが、上記の例と若干意味合いが違います)を見れば一目瞭然です。
全ての和声とその進行は2声の音域の異なるメロディーのインターバルから発生する、というのが私の持論の一つなのですが(それで全ての説明は出来ませんが)上記の、ジャズの歴史上重要な作品における「即興」の感覚をもういちど再確認したいと考えているのです。

以前から時々考えていたことなのですが、『スピリチュアル・ユニティー』の重要性を「調性」という視点で再確認したい、という欲求があるのです。
上記の二作品(アイラー『スピリチュアル・ユニティー』オーネット『ジャズ来るべきもの』)と、例えばジョン・サーマン『The Trio』の違い、と言えば誤解を招くかも知れませんが。

…また続きを書く事もあるかもしれません。