プラ再び

というわけでついにプラ+プラでプラプラな音が実現!
いや、また楽器の話しなんですが。
日記にも書いたように、ブリルハートというメーカーの古いマウスピース(唄口)を入手して、それがプラスチック製なのです。
リードはやはりプラスチックのレジェール。

サックスのような管楽器…いや管に限らないか。全ての楽器は小手先を替えても(メーカーや種類違い、モデル違い)結局は演奏者の「音」になるのですヨ。
ただ、演奏者の個性を出しやすい出し辛い、強調する弱める、といった「方向付け」の役割は果たしており…あとは単に気分転換や物欲だったりするのですが(笑)

以前の日記(http://d.hatena.ne.jp/super_mariso/20040130)にも書きましたが今年は「プラ素材」に興味のある私だったので、その年の瀬にこの組み合わせが実現したのは感慨深いのです。

実際、不思議な音がします。

今現在取り組んでいる「音」の「見極め」に極めて重要…というのはまったく個人的な話。
音程は良く、コントロールしやすいけど、いまいちマイク乗りは悪いしエッジは立たないかな?…というのは一緒に演奏する人にとって少し関係する話。
そして、聴いて何かを感じていただけたり共感していただいたり反発していただいたりなにも感じなかったり…というのは演奏する場に居合わせたり録音された音をメディアなり放送なりで聴いてくださる方々に関係する話…
(ちなみに先日のNHKのFMではまだARBメタル+レジェールでした)

抽象的な話ですが、「浮遊」する音…「実在感」は希薄で、でも確実に「存在」する音…存在感はあってもつかみどころの無い音…
存在しながら実在しない。実体を持たない。
物語は物語としてしか存在していないが、しかしそこに単体では形を為さない「記号」として実在する。
想像することも思い返すことも持ち歩く事すらできる。
そして受け手が感覚と意識に還元するしないの自由を持つ「記号」=音…記号を放つ側にもその自由はある…
これは「フィクション」の定義なのかもしれません。
「フィクション」としての音、これは自分の音楽の中核なのです。
(難しいガチガチのことをやろうとしているのではなく、もっとふにゃふにゃでやわらかく、楽な音楽ですヨ)

その試行錯誤の過程の、小手先の話なので来年にはまた違う組み合わせになっているかもしれませんが。
すくなくともあと12/7のライブには使う予定です。