神狩り2と中島らも氏
山田正紀『神狩り2「リッパー」』買いました。
まだ少ししか読んでませんが、面白い。
同時に『SFJAPAN』の山田・笠井・恩田『神狩り』対談も読みました。
興味深い内容でした。
ストーリーというモノについて、物語を書くという行為について…SFという枠組み内部の話だけではありませんでした。
SFファンのみならず本好きな人にはお薦めの対談です。
…
…他にも最近読んだ本について書きますです。
もう何度読み返したか分かりませんが、いつでも突然発作的に読みたくなる名著、中島らも『今夜、全てのバーで』です。
なぜこの本にそんなに惹かれるのか自分でもよく分かりません。
ただ今回は、最近、様々な「依存症」について考えを巡らせていた(地球上のあらゆる文化活動、文明の維持活動の原動力を全てポジティブ・ネガティブ問わず依存症でひっくくれないものかと)ので自然に手が伸びたのでしょう。
未読の方がいたら、絶対に読んで欲しい本です。
「読書は個人的なものなので、人に強要せず、人に強要されず」が私の読書に対する基本方針なのですが…この本だけは別なのです。
とにかく考えるための材料盛り沢山の本で、しかも面白い。
こんなに「肉体」の実在を感じられる小説というのはなかなかありませんヨ。
中島らも氏の著作は驚異的なモノばかりで、究極の異種格闘技小説(密教、新興宗教、アフリカ呪術、奇術、心理学、少林寺拳法、プロレス、変な武器、超能力、マスコミ、警察、民俗学、そしてアルコールのバトルロイヤル!)『ガダラの豚』、地の文が一切使われない『超老伝…カポエラをする人』(もっと評価されてしかるべきだと思います)
蛇足ですが…『超老伝』で、中島らもは異種格闘技の方法論とその限界について語って(登場人物に語らせて)います。
その指摘は板垣恵介『クラップラー刃牙』『バキ』において見事に継承されているように思われるのです。
らも氏の指摘した問題点を無理なく、あるいは強引にクリアしていく手腕は板垣氏の実力でしょうが、この問題を提示したらも氏の存在を常に(敬意をはらいつつ)意識されているように思えるのです。
(あくまで勝手な推測ですが)
らも氏は生前、大阪のとある場所で隣り合わせになったことがありました。
ある音楽フェスティバルの控え室で、その時私は疲労と睡眠不足でなにか半睡半覚状態だったのですが隣にだれか腰掛けたのが分かり、うっすら目を開けてみてみたららも氏でした。
らも氏も体調が非常に非常に悪い時期だったようで、当然のようにその場でどんな会話が出来る訳でも無く、ただうつらうつらした人間が隣あわせになっているだけでした。
ただそれだけの話ですが、自分に活字を通して大きな影響を与えた人物と、現実でありながら非現実の境目にいるような心理状態ですれ違ってしまったために深く印象に刻まれてしまいました。
そしてそれによって著作の印象が変わったかと言えば変わらない点が、自分でも興味深いのですが。