本日のオーネット

実家で古い『ジャズ批評』(92年)を引っぱり出して持って帰って来たのです。
このなかにオーネット・コールマンの来日公演時のインタビューが掲載されていたのですが、これがなかなかに面白かったのです。
以下引用…
ところで、実はOC(註・オーネット・コールマン)は、会見に列席している人々の素性を知りたいと求めた。そうして音楽ジャーナリストが多いことを知ると、こんなふうに言った。
「私の言うハーモロディクス理論(註・オーネット独自の音楽理論)の基本概念は個々人の違いを認識するというところにあります。私の場合は40年近くもの間、演奏・作曲をしてきた人間ですが、皆さんの仕事とさほど概念は違わないと思うのです。つまり皆さんは、さまざまな情報を扱っているわけで、そこにおいて、すべての情報を同等に扱ったとき個々の内容がクリヤーになってくるのでは無いですか。今後、二一世紀にかけて、コミュニケーション(情報伝達)の世界においてもクリエーティヴの世界においても、さまざまなジャンル、カテゴリーの情報や要素が同等に合わさることによって表現するということが進んでいくのではないかと思うのです」
(季刊『ジャズ批評』75号。p215より抜粋)

音楽的な意味はさておき(オーネットの音楽は言語化しちゃうと意味が無くなると思う。もちろんそれはどんな音楽でもそうなんだけど、オーネットの音楽の言語化程空しい行為は無いと思う。たとえそれが本人の言葉であろうと!…俺ってHi-Doi…独善…)
「すべての情報を同等に扱ったとき個々の内容がクリヤーになってくる」
という認識は「おお」と共感しましたですヨ。
情報処理という行為に対するこの認識は、以前この日記で書いた考え方と一緒だと思います。
当時も読んでいたはずだけど、この言葉の持つ、音楽面以外の重要性にまったく気がつかなかったンだヨなあ。俺。
若いってそういうモンなのかにゃ。

後段で言っている将来の展望。まさにそうだと俺も思うのです。
たとえば「ヒエラルキー」の構造は全ての情報世界(政治も経済も文化も。音楽の「音」だって情報です)にあるけれども、それですべて処理してしまうとモノスゴく貧しいヨ。
すべての情報を同等に扱う、ということはホントホント重要なのです。