本日のAutamn'92
以下、CD-Rに同封した解説です。
『Autamn'92』
solo_1
solo_2
solo_3
solo_4
solo_5 「yes or die」
全てバリトンサックスによる即興演奏です。
(5曲目だけ、演奏前にモチーフを決め、タイトルを付けています)
1992年の秋、大東文化大学の大学祭での演奏です。
21歳。
そのころの私は、大学のジャズ研究会でビッグバンドジャズを演奏していました。
1991年、大学入学、ジャズ研に参加。
7月に林栄一「林管楽交」に参加。分倍河原の『バベル2nd』で演奏。
チンドンに弟子入りしたのは秋くらいだったはずです。
そして荻窪『グッドマン』でバリトンサックスソロを始めたのは92年でした。
大学の学園祭では毎年、教室を使ってジャズ研のライブスペースを「営業」してました。
段ボールを展開し、黒のゴミ袋を張り付け、黒い「壁」を作り、教室を仕切るのです。
かようにして「控え室」と「店鋪」スペースを作ると、窓を新聞で塞ぎ黒く塗りました。
黒い部屋が出来上がると、黒い「壁」に店名を張り付けます。
「ジャズ・ワークショップ」
という店名でした。
それを背中に背負って演奏するのです。
この演奏は大学祭初日。午前10時だったと記憶しています。
お客さんは一人もいませんでした。
ジャズ研の部員だけを前にして演奏されたモノです。
毎月荻窪『グッドマン』で行っているソロを踏襲しつつ、まったく違う内容にしたい、と思ったことを記憶しています。
グッドマンでは30分のソロを対バンを挟んで2回、という感じで行っており、毎回試行錯誤をくり返してました。
それによって得た「何か」の、最初の「報告」のようなつもりだったのかもしれません。
この録音は、店鋪スペースの端、キッチンカウンターの足下に置かれたラジカセで録音されました。
全くの生音ですが、こんなはっきりした音で録音されているのが不思議です。
・・・当時はとにかく音が大きかったようです。
今現在、この音源を聴くと、この十数年で得たモノ失ったモノを実感します。
具体的にも抽象的にも。
技術の未熟さを感じる一方、今となってはどのようにして出したのかすら分からない音も飛び出してきます。
この時期なりの、音楽に向き合うまっすぐな心意気があります。
当たり前ですが同じような演奏は今も今後も出来ないでしょうし、出来たところで意味は無い・・・それで良いのだと思います。
大東文化大学「オフ・カラー・バンド」のメンバーに。
荻窪『グッドマン』に。
感謝。
2006年3月 吉田隆一